じろうや

島への想いを「海苔」に込め
瀬戸内の魅力を国内外へ発信

2021.7.14

 

瀬戸内の海苔と島の魅力を広めたい

瀬戸内でも有数の海苔の産地として知られる岡山県。

たとえば現在では、岡山県東部の瀬戸内市牛窓町から岡山市の吉井川・旭川の河口域や、倉敷市の高梁川の河口域を経て笠岡市沖の島嶼部で養殖が盛んです

 

 

栄養豊かな海でつくられる岡山県の海苔の魅力を国内外に発信し、将来は自身が生まれ育った島での海苔の養殖業の復活・島の復興を目指す、ひとりの男性が2015年にスタートした海苔ブランドがあります。それが「じろうや」です。

 

幼少期から身近にあった海苔養殖

「じろうや」を運営する井本 二郎さんが生まれ育ったのは、岡山県の真鍋島。瀬戸内海の中心にある笠岡諸島の島々のうち、180〜200人ほどが暮らす有人島のひとつで、自然豊かな漁村として知られています。

 

 

小さな島で人口が少ないこともあり「島民の人たちはみな家族のような雰囲気で、優しく見守られながら育った」と井本さんは述懐します。

 

 

井本さんのご実家は祖父の代から、海苔の養殖・製造や漁をおこなう「井本水産」を営んできました。いまから50年ほど前は真鍋島全体で海苔の養殖が盛んで、30〜40軒ほどが共同で、計15もの海苔工場を運営していたそうです。

 

 

物心ついたときから海苔の養殖を手伝い、高校生のときには、ほぼひとりで海に出ていたという井本さん。当時は、将来は漁師になり、家業の海苔の養殖を継ぐつもりでいたといいます。

 

 

海苔の養殖は通常、10月の種付けから3月の片付けまで、約半年間行われます。養殖の方法には浮き流し養殖と支柱養殖があり、井本さんのご実家のような浅瀬のない島では浮き流し養殖が基本です。

 

 

井本さんは、海苔の養殖の魅力をこう話します。

 

天候に左右されるなか、波に揺れる船上で仕事をすることは、常に危険と隣り合わせです。ですが、だからこそアドレナリンが出て、最高の充実感を感じられるんです。

 

しかし、人員不足や水質などの事情から海苔の養殖がむずかしくなり、井本水産も、平成18年をもって海苔の養殖を終了。真鍋島で海苔の養殖は行われなくなり、島の人たちは別の漁の仕事をしたり、島を出て本土で働くようになっていったといいます。

 

地元・真鍋島への想いを「じろうや」へ込めて

井本さんも卒業後は故郷の真鍋島を離れ、岡山県倉敷市で就職。しかし、海苔の養殖とは異なる仕事をして暮らしながらも「将来は真鍋島に帰って、ふたたび島で海苔産業を復活させたい」という、故郷への強い想いがずっとあったといいます。

 

 

井本さんのご実家の井本水産では海苔の養殖は辞めたものの、その後も現在まで、家庭用の味付け海苔の販売は継続。好評で「贈答用の海苔はないのか」と聞かれる機会が多くなり、井本さんは「若い世代にも海苔に親しんでもらいたい」という想いから「じろうや」を立ち上げます。

 

 

「じろうや」の「じろう」は、井本さんの下のお名前。「せっかくあなたがつくるんだから、わかりやすいブランド名のほうがいい」という奥さまのアドバイスを受け、祖父につけてもらったお気に入りの自分の名を名付けました。

 

じろうや 井本 二郎さん

 

サラリーマンの仕事を続けながら「じろうや」を開始したこともあり、商品化の構想から販売までは2年ほどかかったそう。現在も企業に勤めながら、仕事後や休日などを中心に時間をつくっています。お中元やお歳暮などの時期には、特に忙しくなるそうです。

 

かかわる「人」を大切に

そんな井本さんがもっとも大切にしているのは「人」。高品質の海苔を届けることはもちろん、お客様をはじめ、協力してくれる人々、周りにいる家族や友人など、関わるすべての人を、とても大切にされている井本さん。

 

 

平日の仕事では出会えないような多種多様な職業の人々との出会いや貴重な経験も多く、じろうやの取り組みが、ご自身の成長にもつながっているといいます。

 

 

忙しい日々でも決して苦に感じることなく、ブランド立ち上げから現在まで、楽しみながらじろうやを続けている井本さん。その原動力はやはり「海苔が好き」「お客さまに喜んでいただきたい」という純粋なふたつの気持ちだそうです。

 

 

2015年からスタートし、徐々に知名度も上がり、定期購入されるファンの方も増えてきたじろうや。

 

 

これからも、こだわりのおいしい海苔を提供し続ける「じろうや」の活動を通じて、故郷の真鍋島が活気を取り戻す未来を目指し、岡山県の海苔を国内外へ発信していきたいという井本さん。

 

 

「じろうや」の二郎さんが届ける海苔には、そんな生まれ育った真鍋島への想いが込められています。