サロン・ド・シマジ

島地勝彦のセンスを凝縮
一流に触れる西麻布でのひと時

By Emotion

2020.12.14

 

人生の勉強机とは

バーカウンターは人生の勉強机である。バーマンとお客様、どちらが先生でどちらが生徒かは分からないが。

西麻布にある「サロン・ド・シマジ (Salon de Shimaji)」のオーナーで、元週刊プレイボーイ編集長、今はエッセイスト&バーマンとして活動する島地 勝彦さんはそう語る。

 

 

島地

島地 勝彦さん


お客様が来る前はバーカウンターで本を読み、お客様が入った後は会話を楽しむ。島地さんが先生と呼ぶウイスキー専門家や、島地さんを先生のように慕って会いに来るお客様もいる。そして、お客様同士がつながり、会話が生まれ、新たなインスピレーションが生まれる。

 



こういった光景を眺めるうちに、「勉強机」と表現された意図がじわじわと染み込んできた。

 

 




スランジバーから始まる一流とのふれあい

もともと百貨店に入っていたお店を閉め、2020年4月に島地さんにとっての「人生最後の大勝負」としてお店をオープンした。6メートルある天井にはフレスコ画が描いてあり、「島地さんが今まで世界各国で集めてきたセンスの凝縮されたお店」となっている。

 

サロン・ド・シマジ

「サロン・ド・シマジ 」内部


バーでは、島地 勝彦さんとの「スランジバー」という乾杯の挨拶がある。スランジバーとはスコットランドで「乾杯」の代わりに言う言葉で、「多大な幸福を祝う、健康を祝福する」などを意味がある。

 


そんな島地さんを支えるのは、チーフバーマンの松本さんとバーマンの廣江さん。

 

サロン・ド・シマジ

「サロン・ド・シマジ 」チーフバーマン 松本さん



松本さんは1か月だけの手伝いのはずが、島地さんの「人生最後の我が儘に付き合ってくれ」との毎日続いたラブコールを受け入れ、岩手に自身で開いていたバーを閉めて東京へ出てきた。

 

 

 

料理人の様な舌を持ち、海外サイトまで閲覧して気に入るアイテムを探すなど、こだわりを見つけ、こだわりを楽しむことのできる人である。

 

サロン・ド・シマジ

「サロン・ド・シマジ 」バーマン 廣江さん


廣江さんは百貨店時代から7年間島地さんと共にサロン・ド・シマジに立ってきた。服飾系の仕事から転職してスーツを売るのかと思って入った百貨店でバー配属となり、7年間バーマンを一から学びながら島地さんを傍で支えてきた欠かせない存在である。

サロン・ド・シマジ は何でも一流、ここに二流はない。

と島地さんは自信に満ちた顔で言う。バーマンもお酒も、そして、置いてある様々なアイテムも。そんな数あるアイテムの中で、島地さんが特にお気に入りのアイテムは以下の2つ。







横尾 忠則さんの原画

横尾

 

島地さんがまだ30歳前後のころ、週刊プレイボーイで連載していた小説家 柴田 錬三郎先生の「うろつき夜太」を合本した際に、美術家・デザイナーの横尾 忠則さんから「一年間の努力をかって島地君にあげる」と頂戴した原画である。努力の末に手に入れたものは、格別である。






1960年代のEMIスピーカー

1960年代のEMIスピーカー

 

「聴く図書館」ともいわれ、世界中からジャズを聴きに人が集まる岩手県一関市のジャズ喫茶「ベイシー」。ジャズファンやオーディオファンを虜にするのは、レコードを再生しているにもかかわらず、有名アーティストが目の前で演奏しているかのように錯覚するサウンドをマスターの菅原 正二さんが生み出すためである。

 


そんな生のサウンドを再現することへのこだわりが強く、アンプやスピーカーに特別なこだわりを持つマスターの菅原 正二さんが、老後に一人日静かに楽しもうと大切にしまっていたものを島地さんは譲り受けた。ずっと使っていなかったはずなのに、とてもきれいな音が出るため気に入っているとのこと。ぜひサロン・ド・シマジ では音も楽しんでいただきたい。

 


仕事がひと段落した時、チームで飲んだ後少人数で話したいとき、歳を重ねるにつれて、バーへ行く機会が増えてきた。タバコは吸わないが、葉巻を片手にゆっくりお酒をのみ、くだらない話をする。バーマンが遠すぎず、近すぎずの距離感で話題を添えてくれ、自分も一流でありたいと感じる。そんなエネルギーがサロン・ド・シマジにはある。