AJI PROJECT
世界でも希少な、硬くて美しい
庵治石を生活に、世界に
2022.10.3
世界でもここでしか採れない石
「庵治石」をご存知でしょうか。
香川県高松市の北東部、牟礼町と庵治町でのみ産出される石で、世界でもここでしか採れない花崗岩です。
庵治石採石場を望む
庵治石の特徴は、硬さと美しさ。鉱物の硬さを表すモース硬度では、庵治石は7で水晶と同等(ちなみにダイヤモンドは硬度10、大理石は4)。粒子が細かく結合が密なため、細かい加工が可能です。また、含有水分が少なく入り込まないことから、風化しづらい長所があります。
そして、青みを帯びた色合いに黒雲母が入ることから、「青御影石」とも呼ばれ江戸時代より珍重されてきました。
この特徴のために加工には高度な技術が求められ、産地には採石・切削・研磨・造型・文字の彫刻・灯籠制作・建前・運搬と生産のプロセスを高度に専門分化した熟練の職人がいます。
とはいえ、庵治石に携わる職人は減少傾向にあるとのこと。外国産石材との競合、魅力の発信不足などを乗り越えて、庵治石を日常生活で楽しむブランド「AJI PROJECT」を展開する、株式会社 蒼島の代表取締役 二宮 力さんに話を伺いました。
AJI PROJECTの誕生
蒼島の設立は2021年3月。地元商工会の支援事業として2012年に開始されたAJI PROJECTの運営を目的として生まれました。
その誕生の経緯です。
プロジェクト開始から9年が経ち、支援事業としての期限を迎えた2021年、地元事業者13社でスタートした座組みは8社になっていました。支援が終わるにあたり、今までとは異なるかたちで存続させるか、または解散するかを決める必要があったときのこと。プロジェクト開始当初から職人として参加していた二宮さんに、「AJI PROJECTを引き継いでもらえないか」と声がかかります。
「実は二度断りました」という二宮さん。しかし、このままではAJI PROJECTは石材業界以外の業者が事業を引き継ぐ可能性がある、と聞いて考えます。
石産業の衰退は、石屋でない人が石屋をやったこと。外部の業者に任せたからです。効率や利益を優先させて、外国から安価な原石や加工済みの製品を輸入するなんてことをしていたから、産地が疲弊してしまった。
庵治石産業のルーツは、屋島東照宮(現:屋島神社)の建立にあたり、大阪から石職人がやってきたことに遡ります。庵治石に魅せられた彼ら職人は、東照宮が完成してもその地に留まりました。その後庵治石は主に墓石のニーズで栄えることになりますが、外国産の石に押されて衰退。二宮さんは、「墓石が売れた時代は、つくることに忙しくて、庵治石を発信して来なかったんだろうな」と振り返ります。
そんな過去の記憶と、これまでプロジェクトに期待を寄せてくれていた方々や商工会への恩義でAJI PROJECTをメインブランドとした「蒼島」を設立することに。
二宮さんがまず取りかかったのは、商品価格を正当なものにすること。価格競争に巻き込まれて価格破壊が起こり、職人が自身の価値を見失った結果、30年もの間加工賃が変わっていなかったそう。
価格改定の結果、以前は50社ほどあった卸先は減りはしたものの、価値を感じて新しく取り組みを始めるところもあり「今は過渡期です」と話します。
二宮さんが代表になり気づいたことがあります。それは、石職人が少なくなったこと。調べると、30年前に二宮さんが職人として独立したときに約500あった企業は200社まで減っていました。また一社あたりの社員もかつては最大で20人ほどだったものの、今では「一人親方」のところも多いといいます。
わたしたちは完成されたプロダクトしか目にしませんが、庵治石は亀裂などキズが多く、商品に使えるのは採掘したうちのごくわずかだといいます。二宮さんはキズを避けながら使える部分を取り出すさまを「レーズンパンのレーズンがないところを取っていく感じ」と喩えます。石製品は大地から素材となる石を剥がして形をつくるまで、想像以上に人の目や手が入ります。多くの製品が人の手による彫刻品のようなもので、石の強さと職人の能力なしには完成しないのです。
庵治石採石場
加工に技術のいる庵治石職人、一人前になるには最低4年必要とのこと。「技能五輪(「技能五輪全国大会」)の石工部門がなくなったんです」という二宮さん。技能五輪の対象は23歳以下の技術者ですが、その部門の実施条件であるたった5、6人の若手がいない。
庵治石のプロダクトが国内はもとより世界で認知され、魅力を感じて石工を目指す人が増える。しっかりともの作りをすることで、経済的にも成功できるモデルをつくる。ここでしか採れない、硬くて美しい庵治石とそれを加工する技術をもってすれば、その日は遠くないように感じます。