muto
「一枚の完成まで早くて半年」
極細糸が織りなす技術の結晶
2022.5.27
織物文化を次世代に繋げる挑戦
山梨県東南部に位置する、西桂(にしかつら)。地域のおよそ8割が森林で占められ、富士山麓や山中湖から流れ入る豊かな水系に恵まれたこの地域は、古くから続く機織りの名所として知られています。
産地としてとりわけ一大発展を遂げたのは、江戸時代以降のこと。西桂の地に脈々と受け継がれてきた「蚕の糸で絹織物をつくる」という技術が、着物の裏地に重宝されて大人気に。上質なシルク素材は「甲斐絹(かいき)」として、多くの人々に知れ渡ることになりました。
富士山の雪解け水が流れる山梨県・西桂町
そんな西桂の地で、伝統の技を大切に守りながらも織物文化を次世代につなぐべく挑戦を続けているのが、武藤株式会社です。
今回はこちらで販売・デザイン担当をしている、武藤 亘亮さんにお話を伺いました。
「柔らかな肌ざわりと極上の心地に『これだ!』と直感したようです」
武藤の創業は1967年。先々代のお爺様の代に甲斐絹を使った夜具座布(やぐざぶ)の製造を始めたことに由来します。
夜具座布とは、ベットや枕カバー、座布団などの寝具一式のこと。当時は、女性が嫁ぐ際に婚礼品としてそれらを一式揃えるという慣習があったため、安定してお客様にも恵まれてきたといいます。
しかし、時代の変化とともに、夜具座布文化も徐々に衰退傾向に…。
そうした中で事業を大幅に見直す必要を感じ、主力商品を“ストール”に転換するという英断に踏み切ったのが、現代表である武藤 英之さんでした。
父はこの頃、頻繁に百貨店に出向いて夜具座布に代わる新たな商品のヒントを探していました。そこで出会ったのが、ロロ・ピアーナのカシミヤ100%のストールです。
初めて手にした時、その柔らかな肌ざわりと極上の心地よさに圧倒されたようで、すぐに、これだ!と直感したようです。
ロロ・ピアーナといえば、知る人ぞ知る、イタリアの高級衣料品ブランド。中でもストールのクオリティは業界No.1といわれるほど、その上質な素材は誰の目にも明らかでした。
しかし、その存在を知り、感動するだけにとどまらなかったのが、武藤さんのすごいところ。
ロロ・ピアーナのストールのもつ独自の風合いを超えるためにはどうしたらいいのだろう?
と考え、商品を購入。工場に持ち帰って早速、素材の研究と開発をスタートさせました。
世界のトップクオリティを超えるものを、なんとか自社でつくりたい。
そんな英之さんの本気の想いから始まったプロジェクトは、途中、数々の困難に直面しながらも果敢に乗り越えて、1993年にカタチに。mutoブランドを象徴する超極細糸の最上級シルクカシミヤ ストールは、この時ついに誕生することになったのです。
mutoを代表する超極細糸のシルクカシミヤストール
「一流メゾンの人たちの反応を見て『これは面白い、可能性がある!』と感じました」
時代の趨勢を敏感に捉えて、誰よりも早く、大胆に行動を起こす――。
英之さんが英断に至ったのはおそらく、ご自身の先見の明によるものもあったのでしょう。
mutoのストールはその後しっかりと時代の波に乗って、瞬く間に人気に。唯一無二の技術とクオリティは国内のファンを魅了するばかりでなく、海外にまでその名を轟かせていくことになりました。
そうした中で、フランス・パリで毎年行われている「プルミエール・ヴィジョン」から声がかかり、出展が決まるという素晴らしい幸運にも恵まれます。
亘亮さんは、大学3年生だった当時の様子をこう振り返ります。
プルミエール・ヴィジョンといえば、業界では誰もが知る世界最高峰の生地見本市。ここに出展できるだけでも光栄なのに、mutoは世界の中でも特筆したモノ作りをしている企業限定の特別なスペースで展示する機会をいただくことができたんです。
その時に現場でじかにお客様の反応を見て、これは面白い、可能性がある!と感じました。
それまでは家業を継ぐという具体的なイメージはありませんでした。ただ、世界に誇れる生地を作っていることがよくわかったこと。加えて、一緒に何かやろうと声をかけてくださる一流メゾンの方々の情熱を目の当たりにして、心が決まりました。
展示会への参加が人生の大きなターニングポイントになったと語る亘亮さんですが、折しもその頃、建築業界にいたお兄様の圭亮さんもまた、大きな変革の時を迎えていたのだそうです。
偶然か必然か。人生の一大転機の時期が重なったお二人は、ほぼ同時期に未来への意志を固め、兄弟揃って本格的にこの道を歩み始めることになりました。
「一枚のシルクストールが完成するには、早くても半年はかかります」
家業を継ぎ、次の世代に継ぐ織物をつくっていこう。
そう覚悟を決めた二人ですが、当初は知識も経験もほぼゼロに等しく、最初は右も左も分からない状態だったそう。そこでまずは織機を動かすことからと考え、それまで活用できていなかった機械をメンテナンスするところから始めたといいます。
横糸を織る時に使う、シャトル織機という道具です。通常であれば左右に往復しながら織れるのですが、うまく扱えないと、せっかくの糸が宙を舞い使いものにならなくなってしまう。最初はそういう基本さえもわからなかったので、先輩の職人さんに一から教えてもらいました。
機械のメンテナンス
こうして最初は職人修行から入った二人は、紆余曲折ありながらも着実に現場経験を重ね、確かな技術を体得していきました。
ここで、一枚のシルクカシミヤストールを織り上げるまでのプロセスを知りたいと素朴な疑問をぶつけてみたところ、
一枚のシルクストールが完成するには、早くても半年はかかります。
と、びっくりするような答えが返ってきました。
具体的な工程としてはまず、シルクとカシミヤが混ざった極細の上質な糸をつくるところから始まります(海外に発注)。続いて、独自の風合いを織りこなす上で欠かせない「ダブルカバー」という大事な工程に。
その後、必要な経糸(たていと)の本数を揃えて織物の長さを調整する「整経」、それから、ようやく織機を使って織るという段階に入ります。
中でもとくに最重要かつ慎重に行われるのが「ダブルカバー」の工程だと、亘亮さんはいいます。
mutoの天然極細糸は一番細いもので髪の毛の1/3ほど。非常に細く繊細です。そのため裸の状態で織ることができません。そこで糸の強度を高めるために、ダブルカバーを施すのです。
さて、ここまでも気の遠くなるような作業ですが、ここから先、極細糸を一枚のストールにしていくのも、想像以上に骨の折れる作業。生産数も限られており、一日に4枚ほどしかできないのだといいます。
経糸を織り上げる工程
織り終わった経糸と、新しく織る経糸を一本一本結びつける「寄り付け」作業
こうして一枚一枚、丁寧に織り上げられたストールは最終仕上げの段階で、富士山の伏流水に晒すのだそう。不純物の少ない軟水に織物を通すことによって、生地に独自の光沢と奥行きが生まれるといいます。
mutoのストールから生まれる柔らかい風合いと優しい表情は、繊細な織りの技術はもちろん、この地に流れ入る、美しく清らかな水の恩恵もあるのだろうと感じた瞬間でした。
富士山の伏流水で織物に光沢と奥行を与える
「5いえば10伝わるようなところがいいですね(笑)」
「武藤といえば極細糸のストール」というほど、企業の顔として大きく成長を遂げた商品。
しかし「現状にとどまることなく、これからも新しいことにチャレンジしていきたい」と、亘亮さんは未来への思いを力強く語ります。
コロナによって自宅で過ごす人が増えましたよね。それにより今後はおうち需要が一気に増すだろうと考え、着手したのがタオルづくりです。特殊加工を施した糸を使うことによって、吸水性の高いタオルが出来上がりました。
時代の波に抗うことなく即断即決し、新規事業にすぐに転換できる切り替えの早さは、やはりお父様譲りのDNAでしょうか。しかしこの精神こそ、mutoブランドの根幹にある強さの秘密なのかもしれません。
タオルを筆頭に、今後は洋服や小物にも展開していくことで、一貫してライフスタイルを提案できるようなブランドを構築していきたいと、これからの展望を語ります。
またこの他にも、廃棄物が多く環境負荷が高いなど多くの課題を抱えるファッション業界において、自分たちにできることを実践していきたいと、SDGsに関する取り組みにも積極的に参加しているそう。
インタビューの結びに、ご兄弟で仕事をする上で感じていることについてお聞きしたところ、こんな素敵な言葉をいただきました。
日々色々ありますが、たとえば何か依頼する時に、5いえば10伝わるようなところがあるのはいいですね(笑)。
もちろん良い時ばかりでなく、ぶつかる時だってあります。でも二人とも会社を良くするために意見を出し合っている、そういう信頼が二人の中にあるので、様々な局面を乗り越えることができていると思います。
奥から武藤 亘亮さん、武藤 圭亮さん
信頼関係で結ばれた確かな絆、さらに阿吽の呼吸で通じ合う兄弟のあたたかなコミュニケーションは、きっと現場にも良い影響を与えているのでしょう。
mutoの新しい物語はまだ始まったばかり。
縦糸と横糸を紡ぐように織り成される物語のゆくえを、これからも楽しみにしていきたいと思います。