雨
「手のひらに自然の景色を」
可憐な花々が結晶した宇宙
2022.4.29
漆黒の器の中に、色とりどりに咲く花々。
端正な佇まいが印象的なその姿は、見たこともない架空の景色として脳裏に焼きつけられ、私たちの心を一瞬のうちに捉えてしまうような、甘美な魅力を秘めています。
そんな世にも美しい「小さな宇宙」を様々なかたちで表現されているのが、美術作家・花道家の亀井 紀彦さん。鎌倉のアトリエ兼ギャラリー「雨 北鎌倉」のオーナーであり、国内外で活躍中のご本人に、創作の秘密を伺いました。
閑静なエリアに佇む「雨 北鎌倉」
「いずれ消えゆくもの--その無常感に“尊さ”を感じるのです」
亀井さんが花の世界に魅せられたのは、10代の後半。東京造形大学の美術学科に通っていた学生時代に、華道と茶道に出会ったことがきっかけでした。
簡素でありながらも随所に工夫が凝らされた、日本の美意識が息づいている茶室。そんな神聖な空間に生けられた四季折々の花たちは、「わびさび」の世界にさりげなく華を添えてくれるとともに、茶室という四畳半の宇宙にいっそう奥ゆきを与えてくれるもの。亀井さんはそんな花の奥深い魅力に魅せられたといいます。
またこの時、花と同様に亀井さんの心を深くとらえたものがありました。それが和菓子です。
茶会では、お茶をいただく際には必ず和菓子が振る舞われます。“一期一会”のまたとないひとときに、小さいながらも確かな美を添えている。そんな雅で趣ある和菓子の世界観に、どんどん惹きこまれていったんです。
和菓子の魅力はたくさんあって、一言では語り尽くせません。でも私にとっては「儚さ」という言葉が、最もしっくりくる。そしてその儚さというのは、ずっととどまるものではなく、いずれは消えゆくもの--その無常感に“尊さ”を感じるのです。
卒業制作では、老舗和菓子屋の「とらや」の和菓子を素材に自身のデザインを加えた、オリジナルの作品を発表。独自の世界観を表現したインスタレーションに、注目が集まりました。
「手のひらに自然の景色を」をコンセプトに誕生した、「花山」
色とりどりの小花たちが有機的な繋がりのもとに自生し、まるで一つの美しい生命体として存在しているかのように見える、「花山」。
こうした作品が生まれてくる背景にはきっと、作家自身の中に理想郷ともいえる明媚な景色があり、脳裏に広がっているからに違いありません。そしてそれは鑑賞者である私たちの琴線に触れ、静かに、そしてゆっくりと、深層の奥の奥へと沁みわたってゆくようです。
「花山 プリザーブドフラワー」
亀井さんは今から3年前、2019年に参加したオランダ・アムステルダムでの展覧会に生花の「花山」を展示。
目の前で海外の方の反応を見ることができ、現地の人たちの感動が直に伝わってきたのは純粋に嬉しかったですね。とても貴重な経験になりました。
ただその一方で、生花だけだと海の向こう側には届かない、せっかく手にとっていただけたとしても長く鑑賞してもらえない、という課題も残って。この先自分の世界観を多くの方々に届け、もっと広げていくためには、やはり保存のきくプリザーブドフラワーの作品がよいだろうと考えたんです。
こうして生まれたのが、手のひらにおさまる未知の風景とその景色にそよぐ風を香りで表現した、「花山 景色風」シリーズ。
鹿児島県・桜島の浮き石にプリザーブドフラワーやドライフラワーが彩られたこの作品には、景色のイメージに合わせて調香師とともにセレクトした天然アロマが付き、1滴垂らせばほのかな香りの「風」を感じることができます。
「花山 景色風」
生花とプリザーブドフラワー、それぞれ2つの異なる趣を楽しめる「花山」シリーズには、西洋のフラワーアレンジメントの華やかさをわずかに宿しながらも、余計なものを削ぎ落とした上で”本質”だけを立ちのぼらせるという、日本の美意識が結晶しているようです。
「縮む=大きなものを小さくする、という概念がすごく面白い」
このようなオリジナリティ溢れる、亀井さんならではの表現のベースにあるもの――。それは長く親しまれてきた華道はもちろん、学生時代に学んだ絵画や造形、さらに花屋さんでの本人曰く”修行”など、様々な経験が重なり合ってこそ生まれてくるものなのでしょう。
そんな亀井さんにさらに質問を重ねてみると…。作品づくりの上で大切にしていることなど、よりコアな価値観と思いに触れることができました。
端的にいうと、日本固有の美意識のなかでも「縮む」=大きなものを小さくする、という概念がすごく面白いと思っているんです。たとえば家の中に庭をつくるというのは象徴的で、あれは自然の風景を凝縮して借景として日常に取り込んだ好例ですよね。もともと壮大なスケールの自然宇宙を敢えて小さくして、ミニマムな表現に落とし込んでいる。それは和菓子や扇子の世界にも通じるものがあると思います。
なるほど。確かに日本には、「結ぶ・包む・畳む」という文化があります。亀井さんもそうした美意識とも重なる「縮む」の面白さに、深く魅せられた一人なのでしょう。
ただ、物理的に圧縮したからといって、その「小さな世界」にとどまるわけではない、と言います。
想像の世界は自由です。だからこそ、小さくなったものを頭の中でパッと遠くに飛ばしたり広げていったりして、イマジネーションを使って拡張させることができる。小さいだけではなく、想像次第で大きく展開もできる。そんな自在性の豊かさも、実は私が表現に込めたいメッセージなのかもしれません。
作品のみならず美しい所作も含めて味わいたい、唯一無二の世界観
亀井さんの唯一無二の世界観を構成する大事な要素としてもう一つ忘れてはならないこと。それは、作品をつくる際にふと立ち現れる、その美しい所作です。
ピンセットを使って、小花を一つ一つ丁寧に挿してゆく姿。一切の無駄がなく、絵画を描くように滑らかに、まるで手品のように紡がれてゆく景色。
整然と仕分けられた小花
それら全てのシーンはどれも等しく印象的で、心に深く迫ってくるものがあります。真っ直ぐに受け止めた印象をそのまま本人に伝えてみると、こんな答えが返ってきました。
それは、茶道の影響があると思います。お点前の基本が無意識に出ているのでしょうね。もう一つは高校・大学と、ずっと絵を描いてきたことと立体の造形物をつくってきた経験も大きいのかもしれません。花を挿している時はいつも鳥の目で見ているような感覚で全体図を俯瞰して、そこに絵を、景色を描き出していっています。
端正で趣ある景色は、国内だけでなく海外の方の心をも強く捉えているようです。
展示会で創作の一連のプロセスを目の前でご覧いただくと、皆さんすごく興味をもってくださいます。信じられない!すごい!私にはできないと。西洋にはない日本文化ならではの繊細な美やその先に広がる奥行きの深さを称賛してくださる方が多いですね。他にも瞑想的で美しい、精神性が高い、といったお声をいただくこともあります。
さて瞑想的といえば、苔を自然の風景に見立てた「時山」も、まさに静寂の中で生まれる穏やかで落ち着いた心模様を想起させるような作品です。
こちらはコロナ渦において、多くの人たちが自宅で過ごす時間が増えたことを背景に着想したのだそう。
ここ数年の社会の変化もあって、家で花を飾ったり植物に親しまれる方も増えましたよね。そういう中で、僕の作品であっても見る側も手を加えたりと、一緒に楽しめるようなものがあればいいなと思って。そんな時、一輪挿しのイメージが自然と浮かんできました。
ちなみに苔は花とならんで亀井さんにとって大事な、思い入れあるモチーフ。
鮮やかな緑の苔が織りなす景色の中には小さなガラスが隠れており、そこに好きな花を挿すことができるという、なんとも粋な仕掛けが施されています。
「時山」
自分がつくりたいものを表現するだけでなく、刻々と移り変わってゆく時のなかで常に今を捉えて、社会のありようとそこに生きる人々の声にもじっくりと耳を澄まそうとする姿。
そんな亀井さんの深くあたたかな眼差しは、これからどこに向けられていくのでしょうか。今後の新しい展開も楽しみでなりません。
亀井 紀彦さん
<雨 ame>
美術作家・花道家の亀井 紀彦が制作するアートプロダクトブランド。
「手のひらに自然の景色を」をコンセプトに、両手でおさまるほどの器の中に小さな花で草原や花畑、山など、存在しない理想の景色を作りました。
亀井 紀彦は2007年東京造形大学大学院修了。大学時代から茶道及び華道を学び、草月流師範を取得。草花をはじめ自然物を素材に、花の世界でこれまでにないアプローチで作品を制作。近年はオランダ、フランス、ドイツにて「花山」シリーズを発表。2020年7月、鎌倉市にアトリエ「雨 北鎌倉」をオープン。