庄分酢

人と蔵付きの菌とのつながり
300年続く「育てあい」

By Emotion

2021.5.19

 


福岡県大川市榎津(えのきづ)で300年以上にわたりお酢をつくる庄分酢の高橋清太朗さんにお話を伺いました。

 

 

大川市指定有形文化財にもなっている庄分酢の主屋 

 

 

お酢は最古の調味料

ーーそもそもお酢はいつからあるのでしょうか。

 

 

紀元前5000年の文献にもお酢は出てきており、人間が手を入れてつくった最古の調味料といわれています。塩の方が古いと思う方もいるかもしれませんが、製塩技術で塩が作られたのは紀元前2000年頃とのこと。

 

 

そして、日本へは45世紀頃に中国から伝わり、和泉国(現在の大阪府南部)でつくられるようになったそうで、万葉集にも醤やお酢で鯛を食べたいという歌が詠まれています。

 

 

高級調味料だったお酢も、江戸時代には味噌、醤油とともに庶民にまで普及します。

 

 

藩境で交通の要所、榎津地区

福岡県大川市榎津地区は筑後川が有明海に注ぐ最下流の筑紫平野にあります。

 

 

家具の街としても知られている大川。筑後川上流の杉や檜を下流に流し、榎津あたりでくみ上げていたことや、江戸時代、久留米藩有馬家と柳川藩立花家の藩境であったことで、交通の要所として大変に賑わっていました。

 

 

更に筑紫平野でとれるたくさんのお米と筑後川の豊富な水により、酒造りが流行っていたことから、庄分酢は1600年代中頃の2代目四郎兵衛の時に酒造りを始め、17114代目清右衛門の時に酢商売を始めます。

 

 

庄分酢近くの日吉神社。水の神様を祭るため、川に向かって参道があります

 

 

300年間引き継がれる種菌

酒偏に作ると書いて「酢」。お酢を造るにはまずはお酒を造り、お酒に酢酸菌を入れて発酵させることでお酢となります。

 

 

時代を経た蔵の中には「蔵付き菌」とよばれる菌が住み着いており、庄分酢では仕込みの度に桶から桶へ菌膜を移すことで、300年間引き継がれた種菌を利用しています。


この菌は蔵の微妙なバランスの中で生きているため、他の場所に移して同じように酢を造れるかというとそうではありません。

庄分酢で新たな蔵を建てた際も、古い蔵から木や部材を持っていき、十数年かけてやっと発酵が安定し、新たな蔵ならではの良さが出るようになってきました。

 

と高橋さんはいいます。

 

  酵母菌や酢酸菌などの蔵付き菌のため建物の壁や天井は黒くなります

 

 

子育てのように、酢を育てる

庄分酢が実践する、昔ながらの発酵方法「静置発酵」では、発酵は空気と触れた面でのみ起きます。そのため、発酵してできたお酢が樽の下方へ対流し、新たな液面が空気に触れることで発酵が進みます。静置発酵の特徴として、時間がかかりますが、まろやかに仕上がります。

 

 

菌膜。手をかざすと発酵熱によりほのかに温かみがあります

 

ただし、静置発酵とはいえ、ただ放っておけばよいのではありません。

菌膜にも良し悪しがあり、発酵職人が見た目(シワの寄り方)、香り、温度(発酵熱で液温が上昇する)を定期的に確認しながら、良い菌膜で適度な発酵が行われるように時折、蓋を開けて確認します。

 とのことで、その作業はまるで子育てのようです。

 

 

※静置発酵とは別で、戦後、高度成長期に素早くお酢を造るため、速醸法(液体全体に空気を送り全面的に発酵させる)で作られるお酢もあります。静置発酵だと数ヶ月かかるものが1日程度でできるため、安価でキリっとした酸味が特徴です。

 

 

酢に育てられ300年

元々榎津のなかの庄分町にあったことから、庄分のお酢屋さんと呼ばれ、そこから庄分酢と親しみを込めてよばれるようになりました。地元では小学校の給食や各々の家庭で庄分酢のお酢がつかわれ、蔵開きのイベントや社会科見学では小学生が遊びに来るそうです。

 

 

健康に良く、手間ひまかけて誠実につくられているからこそ、300余年も地元の人に愛され続けているのではないでしょうか。

 

 

高橋清太朗さんが仕込んだ黒酢樽と共に