suzusan

伝統と今日性の融合
世界で愛される有松鳴海絞りを

2021.03.17

 

有松鳴海絞りが生まれた町

「有松鳴海絞り」をご存知だろうか。名古屋駅から電車で東に20分ほど。今でも町屋建築が残されている有松は、約400年前に生まれた町だ。町の誕生からほどなくして特産品となった絞り染めの商品が、東海道を往来する旅人に人気を博すことになる。街の開祖である竹田 庄九郎の流れをくむ、株式会社竹田嘉兵衛商店顧問 中村 俶子さんに話を聞いた。

 

有松の起源は江戸と京都を結ぶ東海道の安全を図るため、桶狭間の古戦場のあたりで頻発していた追い剥ぎの対策として1608年に町をつくるお触れが出たことに端を発する。

 

新町の開発を藩から命じられた竹田 庄九郎は、8人の若者と共に入植したのちに町を支える手段を模索した。あいにく当時の有松は物騒な荒れ地であったところ、名古屋城築城に来ていた豊後(大分)の人夫たちが持っていた絞りの布に着目。

 

その絞りを研究した庄九郎は、知多の木綿で染め上げた手拭いを売り、これが評判を得ることになる。のちに尾張藩はこの絞りを保護し、庄九郎は産業化に成功。多い時には絞り一反につき売値の30%もの税金を納めていたそうで、藩の財政を左右するまでに発展した。

 

竹田嘉兵衛商店の庭には、竹田庄九郎の石碑が立つ

 

職人の技が惜しみなく注がれた有松鳴海絞りの打ち掛け

 

素朴に見えるが数種類の絞りの技法が駆使されている

 

以来、時代は変われども有松鳴海絞りは廃れることなく、洋服地をつくったり、アフリカへ布地を輸出するなどその時々のニーズに沿った商品開発をおこなってきた。

 

有松は第二次世界対戦時に捕虜の収容所が隣町にあったことから爆撃を免れており、古くからの街並みが残っている。有松の人々は40年前からその町並みを残す運動に携わっている(ちなみに、町並みの保存運動としては日本で一番早かったという)。


顧客を迎える茶室・広間から望む日本庭園

 

古くからある環境を一掃して新しいものにすげ替える観光地化、開発に警鐘を鳴らす中村さんのような方は少なくない。古いものの中に新しいものは生まれてくる。培ってきた文脈を断つことなく、その上に新たな取り組みを育てることが重要、と語ってくれた。


江戸時代に建てられた蔵

suzusan

suzusanは、代々有松鳴海絞りを受け継いできた「鈴三商店」の五代目、村瀬 弘行さんが2008年にドイツで設立。 

 

一点ずつ手作業で染められる、ウェア・ストールなどの服飾小物・リビングアイテムは今では世界の有力ショップで展開されている。有名デザイナーともコラボレーションするなど、日本の伝統技法をベースとするファッションブランドとしては独自かつ理想的なポジションに位置する。

 

「周りの人たちに動かされているんです」という村瀬さんに、ここまでの話を聞いた。

 

伝統的なものの芯を残しつつ、コンテンポラリーに

もともとアーティストを志していた村瀬さんは、19歳の時により良い環境を求めてイギリスに学びの場を求めた。滞在にかかるお金は自身で賄っていたものの、アルバイトと学校の両立は難しく、渡英一年で資金が底をつくことに。そのため比較的学費負担が少なく済んだドイツ、デュッセルドルフへ移る。

 

ある時、父親(村瀬 裕さん、suzusan 取締役会長)が仕事のため渡英し、ドイツにいた村瀬さんも現地で手伝うことになった。有松鳴海絞りをおそらく初めて目にしたであろうイギリス人の「ステキ!」「美しい!」というリアクションを目の当たりにした村瀬さんは、この経験を「子どもの頃から布に囲まれていたので、はじめて有松鳴海絞りを外から見た機会でした」と話す。

 

その後ドイツへ持ち帰った絞りで染められた布を寮に置いていたところ、同室の友人がそれを「面白いね」と興味を示したことがきっかけとなり、2008年に現地法人を立ち上げることになる。

 

ドイツ・デュッセルドルフにあるsuzusanのアトリエ

 

ブランドを設立したものの、周りにやり方を教えてくれる人はいない。自ら名乗った肩書も、名刺にそう書かれているのを見るたびに「自分はクリエイティブ・ディレクターなんだ」と実感したという。

 

最初のコレクションでは有松の父親にストールを作ってもらった。suzusan立ち上げ後2、3年は父親と方向性のすり合わせをしたという村瀬さん。時には「こんなものは絞りではない。子ども騙し」と言われたこともあるという。

 

「職人は技術を見せたがる。それは良い面もあるけれど、使う人の顔が浮かばず実用的ではないものを作るような、自己満足に陥ることにもつながる。伝統的なものを若い人にも身につけてもらえるように、芯は残しつつコンテンポラリーにしていくことが大事」と話す。

 

suzusan設立の2008年といえばリーマン・ショック。世界中の消費が冷え込んだことは記憶に新しい。そんな年にコレクションを生産し、販売したため、「産地には本当にお世話になった」と振り返る。最初はモノを作ってもらいながらも、そのお金が払えない。そして、実績もなかったためにどうしても口が先行してしまう。そんなsuzusanを支えていたのはドイツから遠く離れた有松だった。

 

当時の有松では、suzusanの前身となった鈴三商店のような下請けがものづくりをするのはご法度とみられる向きもあった。ただし、絞りの需要が先細る中では自分たちが作るしかない。「ドイツという、離れたところにいたのは本当に良かった」と村瀬さんは話す。

 

販売についても、生産者が集まりバイヤーが訪れる展示会には出られないので、トランクにサンプルを入れて各国を回った。アポなしでお店を訪問することも多く、すぐにはオーダーにつながらないこともあったが、着実に認知されてファンを増やしていった。

 

不均一で多様なものがつながり、生まれるハーモニー

特に、ミラノの名セレクトショップ「ビッフィ」のオーナーが展示会で直々にオーダーを置いてくれたこと、パリの先進的なセレクトショップである「レクレルール」を突然訪問したところ、たまたまバイヤーがいて、発注を即決してくれたこと、この2つがターニングポイントになったという。

 

実はこの両店、どちらもそのセレクトに定評がある名店だが、「ビッフィ」は上質なベーシック、「レクレルール」は先鋭デザイナースタイル、と品揃えのテイストが少し異なる。このどちらにも、さらに言ってみれば洋装だけではなく和装にも合う多面性がsuzusanの特徴だ。

 

1枚ずつ手で絞り、染めているのでたくさん作れないのはデメリットかもしれないが、様々なオーダーに応えられるのはメリットとなる。これまではトップダウンで進んでいたトレンドやラグジュアリー観が、SNSなどにより共感の仕方が多様化する結果、今後は転換期を迎えるだろう、と村瀬さんは考えている。

ラグジュアリーブランドは華やかだけど、その商品はNYでも東京でも同じ。広告とロゴで、人々を憧れさせてものを売る。そんなブランドができないのは、不均一なものづくりです。個々人が自分なりの価値を見出せる不均一なものこそが、ポストラグジュアリーの主流になるのでは。

 手絞り、手染めのsuzusanのアイテムはまさに不均一だ。毎シーズンのコレクションの構想はまず素材を決めるところから入る。その次は色を決め、最後に絞りに落とし込む。テーマはファッションの流行ではなく、社会のあり方への自分なりのアプローチという。

 

デザインのアイデアを生み出すアトリエの現場

 

サンプルを手ずから作る村瀬さん

 

想像力が膨らむから、テーマはわかりやすい表現を心がけるという村瀬さんが今シーズン(2021年秋冬)選んだ言葉は「FAMILY」。時代が変わっても、家族は変わらない価値を持っている。家族は最小単位の社会であり、そのあり方に正解はなく、多様性を反映している、という考えを込めた。


パリ、ギャルリ・ヴィヴィエンヌで行われた2021秋冬の展示会

 

ファッションの主流は今、若い人に向けたアプローチになっている。多様化する社会の中で幅広い層に楽しんでもらいたい、と話す村瀬さん。

 

有松鳴海絞りをその背景からあえて切り離し、シンプルに「手作業による素敵な模様」としてファッションやリビングアイテムに乗せ生活者に提案する。

 

固定概念に拘泥せずに本質を捉えて、国籍問わず老若男女に愛される商品を生み出すsuzusanの姿には、ラグジュアリーアイテムや日本の伝統産業の未来形が透けて見えている。

 

村瀬 弘行さん。インタビューはデュッセルドルフのアトリエとオンラインで行われた。

 

商品

今こそ、スローファッションを。時の試練を経て残る本当の贅沢

¥113,300

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