奥順

人の手が紡ぐ世界有数の絹織物
結城紬を支える製造問屋

2021.03.12

 

結城紬  奥順

関東平野の中央、筑波山の裾野を流れる鬼怒川沿いには肥沃な土地が広がる。古くから養蚕が盛んなこの地には、織物の産地として発展した歴史がある。現在は栃木県と茨城県にまたがるこのエリアで、結城紬の原型は平安時代には既に生まれていたという。

 

 

鎌倉時代には「常陸紬」と呼ばれたその織物は、質実剛健な風合いから質素を尊ぶ武家に好まれた。「結城紬」として流通するのは江戸時代に入ってからとなり、織られた反物は鬼怒川を下り江戸へ運ばれる。この頃の結城紬は男もので、武士や財を成した商人に特に需要があったらしい。明治以降には多くの模様や生地が開発され、結城紬は女性のおしゃれ着として進化してゆく。

 

 

結城紬は1956(昭和31)年に「糸つむぎ・絣くくり・地機織り」の3工程が国の重要無形文化財として指定され、2010(平成22)年にはUNESCO無形文化遺産にも登録された。その結城の地で、奥順は1907(明治40)年に創業。結城紬の企画とデザイン・販売流通を請け負う「製造問屋」として、現在に至るまで産地全体の発展に寄与している。

 

 

奥順株式会社

 

 

奥順株式会社 代表取締役専務 奥澤 順之さんは「手作業で行われる製作工程が指定されている織物は、世界でも稀です。変わらず残ってきたものだから、着物としてだけではなく、どんな人にも身近に身につけられる物として結城紬を紹介したい」と話す。

 

 

奥順株式会社 代表取締役専務 奥澤 順之さん

 

 

結城紬の生産工程

結城紬は、その製法により2つに分けられる。1つは「本場結城紬」。糸とりから染色・織りの全工程を完全手作業でおこない、1反(12.5m)織り上げるのに5ヶ月〜3年かかる。もう一方は「いしげ結城紬」といい、織りの工程に半自動織機を導入し効率的に生産される。ただ、織機を操作するのも人であり、経験に裏打ちされた技術が必要なことには変わりない。ちなみに、「いしげ結城紬」の反物は12080万円で小売されている。

 

 

「本場」も「いしげ」も、結城紬の工程は糸とり→染色→織り。奥順はこのプロセスの中で、図案を決めるなどプロデューサー的な役割を担っている。

 

 

1.糸とり

蚕の繭を煮て手作業で袋状に広げたものは、元々「綿(わた)」と呼ばれていた。江戸時代に木綿使用が広まったが、その綿糸をとる原料も同じく綿と言われたため、2つを区別し絹の綿には「真」がつけられた。その真綿から手で糸を紡ぐ。

 

 

2.染色

指示された色見本に照らし合わせて、5,000にも及ぶレパートリーから色を選び、染料を配合して釜にいれる。糸を釜に入れて1時間、じっくりと染料を糸に染み込ませる。結城紬の糸は強くは撚らないため、釜の中でかき回すと痛んでしまう。そのため糸に負担がかからないように、優しく染料に浸して上げる、を何回も繰り返す。

 

 

取材時は栃木・小山の桜「思川桜」の枝で染めていた

 

染める前の絹糸

 

工房にある数えきれないほどの染料

 

染料の調合は1/100g単位でおこなう

 

 

常時423℃になる工房。色を確認するために日中、日の出3時間後から日没3時間前が作業時間となるため、特に夏は外の暑さも相まり灼熱の場となる。

 

 

染色に携わり43年の伝統工芸士 大久保 雅道さんに話を聞いた。「職人は『再現性』が大事。同じ色を何回でも再現させてこそ一人前」。経験を積んでも気を遣うのが色合わせで、一発必中が求められる。「よくできて当たり前だけど、お客さんに喜ばれた時はやっぱり嬉しい」と語ってくれた。

 

 

結城紬染色部門 伝統工芸士 大久保 雅道さん

 

 

 

3.織り

染色された糸を経糸として約70m、織り機にセット。その経糸に緯糸を巻いた管をくぐらせて織り上げてゆく。打ち込み過ぎるとどんどん目が詰まってしまい、結城紬のふんわりとした質感が失われる。そのため目が詰まり過ぎないように、蚕の殻など糸の付着物もとりながらの織り仕事となり、おのずと時間がかかる。

 

 

この日、工程を見学させてくれた室伏 藍さんは、高校を卒業後県の指導所に入りこの道22年。それでも1日に10m、ストール5枚程度を織るのが限度とのこと。

 

室伏 藍さん

 

緯糸を巻く管。日に30本使用する

 

 

 

寒い時期はよいが、梅雨時などは糸の糊付けが甘いと湿気で毛羽立つ。そうなると直しながら織るのでなかなか進まなかったりするけれど、うまく織り上がると仕事の醍醐味を感じるという。

 

 

織り終わったら検品。目視で節になっているところを、丁寧にハサミで取り除く。この後に40℃のお湯に通されて織物としてようやく完成、となる。

 

 

 

「織り」の工程を担う飯六織物の飯島 修さんによると、現在は織り手さんは3名体制で、繁忙期にはプラス1名で臨むという。4名としても1日に生産できるストールは20枚。もちろん、着物地など他のアイテムの生地も織るので、実際には生産数はもっと少なくなる。

 

 

飯六織物 飯島 修さん

 

 

奥順の奥澤 順之さんは現状をふまえた上で、結城紬のこれからを話してくれた。

技術や技術を持つ職人の維持のためにも、数をつくることが重要。『大量生産』はある意味理想的で、その理由はクオリティコントロールができるから。『売れないからやめる』という考えは危険で、職人の仕事を絶やさないように、ものづくりをできる環境を整えていくのが奥順の役目です。