井原水産

黒いカズノコを黄色いダイヤへ
食感を届けるあくなき挑戦

By Emotion

数の子ってなんで数の子というかわかる?

 

 

「ヤマニの数の子」を製造・販売する井原水産の井原 慶児さんが訊ねる。

 

 

卵の数が多いから数の子というイメージがあるが、そうではないらしい。ニシンの卵である数の子、そのニシンのことを以前「カド」と言ったことから、「カドの子」が訛って「数の子」となったとのこと。

 

 

じゃあ、数の子ってなんで子孫繁栄といわれるかわかる?

 

 

「ニシン(二親)の健在を祝い、子宝と子孫繁栄を祈る」として、正月のおせち料理には欠かせない食材の数の子。このクイズの解答は、シンプルに「卵の数が多いから」で良さそうだが・・

 

カナダで仕事をしているときに、『黒潮の涯(はて)に』という本の著者でカナダで最初に数の子を作った林 林太郎さんに会いに行き、私も同じ答えをしたんですよ。でも林さんはそうではないと。『親が死んでも子は育つ。だから子孫繁栄なんだ』と教えられました。

 

と井原さんは懐かしそうに語った。実は、ニシンは獲った後も腹の中で卵が育つ。そして、これこそが井原水産の過去の窮地を救ったことでもあった。

 

 

カナダのニシン漁船 

 

 

井原水産は井原 慶児さんの父親の井原 長治さんが昭和29年に創業。もともと北海道の留萌(るもい)役所の市場に会計として出向する中で、留萌で獲れるニシンで皆が儲けていることをみて、自分もと思い立って独立したそうである。しかし、自然は予測できないものである。この昭和294月を境に留萌でニシンは獲れなくなった。

 

 

根室や厚岸ではニシンが獲れていたので、そこから遠路運ぶのだが、当時は貨物列車で所要時間はなんと4日。当然ニシンの鮮度が落ちるため、以前から数の子を取り扱っていた会社が参画することはなかった。

 

 

しかし、事業を始めたばかりの長治さんは、なんとしても売るものが欲しく、輸送された数の子を扱うことを決意。

 

 

鮮度が落ちると思われた長治さんの数の子は、逆に輸送の間に育ってパリパリになり、質のよい成子(セイコ)になる確率が高かった。その結果、大方の予想に反して購入手数料や輸送費用を補って余りある売り上げにつながったそうだ。

 

 

長治さんも卵が育つことは知らなかったので、経営者として持っていた運の良さだった、と慶児さんは振り返る。

 

 

「黒いカズノコ」を「黄色いダイヤ」へ

ところで、数の子といえば黄色いものを思い浮かべるのではないだろうか。我々が知る黄色い数の子が生まれた背景にも、井原水産の挑戦があった。

 

 

冷凍技術の確立されていない昭和30年代、ロシアなどから数の子を運んでくる際に塩で固めていたため、酸化した数の子は真っ黒だった。このとき、「どうしたら黒い数の子を黄金色にできるか」という課題に井原水産は社員全員で取り組んだという。

 

 

留萌のちくわ加工業者がすり身を白くするのに過酸化水素を使って酸化還元していると聞いて、リスクを取りながら試行錯誤した結果、黄金のダイヤと言われる数の子にたどり着いたそうである。初めて見た人からは、沢庵の黄色い着色剤に漬け込んだのではないかと思われることもあった。

 

 

 

 

ちなみに、過酸化水素は食品添加物に指定されているが、カタラーゼという酵素を使えばすべてなくなるということが数の子については確認されており、厚生労働省からも使用を認められているため、ご安心いただきたい。

 

 

安心・安全・プチプチ食感

逆境や数多くの課題も乗り越えてきた井原水産の歴史。水産業者としてはパソコンの導入も早く、1984年には多くの社員が使っていたという。

 

 

また、世界の主要医学系雑誌等に掲載された文献を検索することができるPubMed(米国国立医学図書館の国立生物科学情報センターが作成するデータベース)にも掲載される論文を北海道情報大学と連携して作成するなど、数の子の研究やプチプチ食感を保ち家庭へ届ける技術の追求に余念がない。

 

 

最近では「健康数の子」や「カズチー」といった人気商品を生み出した井原水産。この前も冷凍技術に秀でた会社が見つかったと目を輝かせる慶児さんは話す

伝統製法に固執することなく、時代の最先端技術を取り込んで、食を通じてお客様の健康に寄与したい。

 

昔から食べられてきた数の子。その中身は、井原水産の技術革新と食感の追求により進化を重ねている。