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真珠養殖が生まれて120年
次の100年に向けた物語

忘れ去られた海

1300年に渡る真珠の歴史がある長崎県の大村湾。別名「琴の海」とも呼ばれ、閉鎖的海域のため湖のように潮の流れが穏やかで、プランクトンが豊富なことから、真珠養殖に必要な条件が揃った貴重な海です。

 

 

 

 

現在日本の海で養殖される真珠の多くは、あこや真珠という種類で、世界のあこや真珠の中でも日本産は美しい照りと高い評価を受けています。

 

 

その理由は、日本の四季に関係しています。 12月の浜上げと呼ばれる真珠を取り出す収穫作業が行われる頃に、海水温度が下がることにより、真珠層をより美しくすると言われています。

真珠の養殖は稚貝を育てるところから始まり、その後母貝へ核入れを行い、浜上げまでは、約4~5年もの月日を要します。

 

 

真珠養殖場の方の丁寧なお世話により生み出される真珠ですが、収穫時の海の環境にとても左右される生き物なため、収穫された半数は死んでしまいます。そのため、海と人間の共同の作業により生まれるあこや真珠は、まさに一つ一つが繊細な尊い命なのです。

 

 

 

 

しかし近年、原因不明の病気など何かしらの問題が起こり、2019年にはあこや貝の大量死が全国的に発生しており、国産のあこや真珠の収穫量は減少、真珠産業は生存の危機にも直面しています。

 

 

そんな中、海とあこや真珠の物語に心を動かされ活動を始めた、一人の女性がいます。

 

 

 

 

真珠を生み出す「海」の存在が人々の心から忘れ去られている、 同時にこの海で育まれる真珠という美しい命、 またその命を育てる養殖業の方々のことも忘れ去られている。

 

 

そんな現状を、「アート、デザインで変えていくことができないのか?」と「acoya」ディレクターの大地千登勢(おおち ちとせ)さんは問います。

 

 

熊本育ちの大地さんは、幼い頃から海が大好きで、 家族で訪れた海や沖縄の八重山で、海の魅力を改めて感じたと話してくれました。そんな彼女は、大村湾の真珠にどのように出会い、今に至るのでしょうか。

 

 

真珠博士、松田さんとの出会い

長崎の平戸はかつて西洋の文化が日本に初めて到着した場所でした。そうして栄えた南蛮貿易により砂糖が日本に伝わったことから、オランダのクリエーターと新たな菓子文化を世界に発信するプロジェクトを進めていた大地さん。

 

 

そのことがきっかけで、大村湾に初めて訪れることになりました。 大村湾周辺のリサーチを行っているときに、偶然「真珠」という言葉を見つけます。

 

 

大村湾周辺一帯は彼杵(そのぎ)と呼ばれ、1300年以上前から真珠が採れていた豊かな海でした。

 

 

奈良時代に編纂された肥前国風土記には、彼杵の地名の由来が記録されています。当時景行天皇が彼杵に土蜘蛛族を退治に訪れた際、彼は3つの美しい珠を見つけます。

 

 

ここから「美しい珠の揃った国、具足玉国(そないだまのくに)」と、この大村湾周辺一帯を名付けました。 玉とは珠、つまり真珠のことを指します。この言葉、「具足玉国」が訛り、彼杵と呼ばれるようになったと書かれています。

 

 

 

 

大地さんは、神話における自然と人の関係などに興味を持ち作品の物語を作っていたこともあり、大村湾の真珠の物語、歴史などを知れば知るほどこれは今、世界に伝えなければならないものだと感じたといいます

 

 

しかし、驚くことに町の人ですら、その真珠の歴史を知る人はほとんどいませんでした。

 

 

大地さんは東京に戻り、さらにリサーチを重ねていきます。そこで、大村湾周辺で真珠養殖をやっている方にお会いしたいと思い、東彼杵の役場の方に尋ねると、 1件だけ大村湾の東側で真珠養殖を営んでいる人がいると教えてもらいます。

 

 

これが松田真珠養殖の松田さんでした。

 

 

 

 

かつて20ヶ所以上あった真珠養殖場も、現在は松田さんの1件だけになってしまっていました。

 

 

そして、この海と真珠を心から愛する松田さんとの出会いが、大地さんにあこや真珠のことを世界に伝えようと決心させる出会いとなります。

 

松田さんは飛び込みで行った私を快く受け入れてくださり、2時間以上も真珠の話をしてくださいました。

 

松田さんが現在も真珠を続けられているのは、養殖だけではなく、若い時に神戸まで行き真珠の加工技術まで学んでいたからだそうです。

 

通常養殖場は珠をつくるだけですが、結局珠つくるだけでは単価が安く、加工した方がはるかに高く売れるので、それで生き延びてらっしゃったそうですよ。

 

真珠に関するたくさんの知識を持つ松田さんですが、お世辞にも話が上手なわけではなかったそう。しかし不器用でありながらも、その温かい人柄に胸を打たれたといいます。

 

 

そこから「実際の現場に行かないとなにもわからない」という思いから、 毎月養殖場に足を運び、真珠産業の現場を自ら学んでいきます。

 

 

 

 

真珠、その命を落としてその美を生む

衝撃を受けることが本当に多かったという真珠養殖の現場。  

 

え、色を染めない方が綺麗じゃない…?

 

初めて目にした、一切の加工を施していない自然のままの真珠は、 白という言葉だけでは表現しきれない様々な色を帯び、艶やかで美しい輝きでした。そこにはなんとも表現し難い優しさも存在していると、大地さんは語ります。 

 

 

 

 

私たちが普段目にする真珠は、脱色、着色され、装飾品として市場に出回っています。

 

 

奈良県の正倉院には、1300年前に献上されたとされる真珠が、今なお美しい輝きで保管されています。しかし、その中には当時でも着色したものがあり、それらは現在ボロボロになってしまっているとのこと。

 

 

母貝の子宮で育てられ、取り出されるあこや真珠はまさに命を生む行為そのもの。 命は人間と同じように二つと同じものは存在せず、あこや真珠は母貝などの命が犠牲になり、誕生する美しさ。

 

 

またこの命は、海と人間の丁寧な仕事の結晶でもあり、海や人の仕事の丁寧さが生み出す、唯一無二の美しさ。

 

 

この美をそのまま届けたい・・・。そうすることにより、海の存在の重要さ、美しさにも気づいて欲しい。

 

 

 

 

そんな、真っ直ぐな思いが大地さんの原動力となり、あこや真珠にアート、デザインの力を加え、新たな価値を提案してい「acoya」の立ち上げを決心します。

 

ロゴは、KではなくCにすることにより、完璧な真円でないことを表現し、さらに、小さな丸の点で構成するCのグラフィックは、一つ一つの個性を尊重する、ということを意味しています。

 

クリエーターと共に目指す先

acoyaでは、国内外のクリエーターに長崎のあこや真珠を使用したジュエリー製作を依頼。

 

 

彼らにも大村湾での真珠の生産背景を伝え、自然のままのあこや真珠の美しさを理解してもらった上で、より魅力を引き出し、唯一無二のアートジュエリーとして世界へその魅力を伝えています。

 

 

 

クリエーターにデザインしてもらうことで、アート作品として真珠の価値も上がります。そのことにより養殖場のような第一産業の価値も同時に上がり、様々な人が再度注目してくれ、興味を持って頂けたら嬉しいですし、価値があることだと思います

 

依頼をするクリエーターは、技術は勿論のこと、最も大切にしているは「人柄、思想」と実に明快。

 

 

 

作品はつくり手の想いなどが全て投影されるので、出会ったクリエーターの中でも思想の素晴らしさや、人柄の良さを尊重しお仕事を依頼します。中でもジュエリーは人の身体に重なるものであり、心を重ねることに通じるものがあると思います。

 

技術だけが優れていたとしても、そこに心の美しさや、込められた思いがなければ、それはただの装飾にすぎません。ジュエリーは自分が何者かを示すものであったり、あこや真珠などの生命を扱うものは、自然への畏怖の念など込めたものであって欲しいです。

 

 

真珠養殖から120年。次の100年に向けた物語

現在大地さんは、長崎のあこや真珠を世界へ伝えるべく、 歴史的にも親交が深く、大地さん自身も15年以上一緒に活動しているオランダ在住のクリエーターと共に海外での活動を積極的に進めています。

 

 

今年はオランダで行われる展覧会にも出店が決まっており、『自然のままのあこや真珠の美しさを世界へ』いう想いをまさに一歩、一歩体現しています。

 

真珠はいつの時代も、国外に輸出される存在でした。卑弥呼の時代、そして戦後、養殖真珠は外貨を得るために大活躍しました。松田さんもヨーロッパでの展開を期待してくださっています。

 


 

一方で、国内では真珠に関するワークショップなどを開催し、歴史や生産者の物語を伝え、真珠の文化を繋ぐ活動も精力的に行っています。

 

子供たちは本当に素直なので、美しい真珠に凄く興味をもってくれます。最近では海に入って遊ぶ子供が本当に減ってしまったので、acoyaを通して海を少しでも身近に感じてもらいたいです。

 

 

 

日本で真珠の養殖が生まれてから約120年。

 

美しい真珠の命は、日本の豊かな四季、海から生まれています。環境破壊、大量生産、大量消費の時代を経て、私たちはもう一度本当の価値を改めて考えなくてはならない時が来たのだと思います。

 

120年前、日本の養殖真珠は世界にある意味新しい価値をもたらしました。では次の100年は、新たなる価値をこの日本から世界へ伝えていきたいです。 

 

acoyaの挑戦はまだ始まったばかりです。

 

 

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