前田工房・インテリア茶箱クラブ

茶箱文化を世界に!
衰退の危機から新たな可能性へ

2021.12.1

 

 

 Videographer : Colin Mok

 

 

現代ではすっかり見かける機会の減った「茶箱」。
子どものころ、押入れの中に大きな木箱がしまわれていたという記憶のある方もいらっしゃるのではないでしょうか。

 

 

茶箱はお茶の輸出がはじまった江戸時代末期に生まれた日本の伝統的な生活用具です。お茶の葉を新鮮に保たせたまま海を渡るため、優れた防湿、防虫効果を持ちます。

 

 

職人の手で一つひとつ作られた茶箱は、お茶のみならず、お米やコーヒー豆、衣類やカメラなどの日用品まで、湿気から大切なものを守る収納箱としても優秀です。自然との共生から生まれ、100年経ってもその機能やカタチを変えず、世代を越えて大切に使い続けていくことのできるサスティナブルな商品でもあります。

 

 

Photo: Hitomi Sato

 

 

しかし、段ボールやプラスチック容器などの登場により、需要はどんどん減少。各地にあった茶箱工場は全国で6軒のみ。後継者不足も相まって茶箱は衰退の一途を辿りました。

 

 

そんな茶箱の持つ魅力に気づき、新たな価値を加えて未来へ残そうと取り組んでいるのが、「インテリア茶箱クラブ」代表のパイザー 真澄さんと「前田工房」代表の薗田 喜恵子さんです。

 

 

需要と供給の両輪で茶箱文化を守り、世界へと羽ばたかせようと奮闘する2人のストーリーを伺いました。

 

 

インテリア茶箱との出会いから茶箱の存続へ

パイザー真澄さんが茶箱と出会ったのは、今から22年前。アメリカ人のママ友宅に遊びに行った際、玄関に置いてある素敵な箱を目にしたことでした。

 

 

「その箱は何?」と聞くと、好きな布を張ってオリジナルの収納箱につくり上げる“Fabric Covered Chabako (布張り茶箱) ”だと教わります。日本在住の外国人の間では親しまれているクラフトだというのです。

 

 

ティーセット入れや椅子などとして茶箱を利用 Photo: Hitomi Sato

 

 

パイザーさんは

 

それまで茶箱って押入れのなかにあるイメージだったんですよね。その茶箱がこんなに素敵に生まれ変わるなんて驚きました。同時に、外国の方が日本の文化を楽しんでいるのに、それを日本人が知らないのはもったいないと思ったんです。

と言います。

 

 

インテリア茶箱のつくり方を友人から教わり、趣味として楽しむようになると、次第に周りから教えてほしいという声が増えはじめます。1999年旗の台に教室を構え、2004年には「インテリア茶箱クラブ」を設立しました。

 

 

茶箱に関わるなかでパイザーさんに芽生えたのは、茶箱文化衰退の危機感です。

 

 

茶箱の魅力を多くの人へ届けることで、茶箱を守れないだろうか…。

 

 

レッスンのほかに商品として「インテリア茶箱」と名づけて販売をはじめ、同時に茶箱の存続のための活動も始めました。

 

 

衰退する茶箱を守り、魅力を伝えたい

お茶の名産地として知られる静岡県川根本町では、茶箱の製造が盛んに行われていましたが、需要の減少と後継者不足により、昔ながらの技術を継承する工場の閉鎖が相次いでいました。

 

 

教室をはじめた頃から茶箱の仕入れでお世話になっていた「前田製函所」も存続が危ぶまれる工場のひとつ。親方・前田宥さんから茶箱産業の窮状を聞くたびに、パイザーさんは何とか茶箱を残す道すじをつくれないかと奔走していました。

 

 

前田宥さん

 

 

茶箱は生活のなかで脇役のような存在ですが、日本の伝統文化です。日本の誇れる手しごとを世の中から無くしてしまうのはあまりにももったいないですよね。茶箱は収納としても、インテリアとしても使えるものなので、世界にも通用するものになるはずなんです。

 

とパイザーさんは考えます。しかし、茶箱を残すための活動に理解を示してくれる人は皆無だったと言います。

 

 

「古くさい箱を残す意味があるの?」、川根本町の人でさえ「まだこの町で茶箱をつくっていたの?」という反応でした。

 

自分の信念と周りとのギャップがあまりにも大きすぎて、どうしてこの魅力が伝わらないんだろうと歯がゆい想いを抱えていました。ただ、私には茶箱を残していけるという確信があったんです。いくら言っても言葉では伝わらないので、示していくしかないと覚悟を決めましたね。

 

とパイザーさんは言います。茶箱を暮らしのなかに置くことで、モノを大切にする精神や人の温もり、本物を身近に置く喜びを感じることができる。そして、装飾してインテリア茶箱にすれば、生活空間を彩るモノにもなる。いつかこの茶箱の魅力を多くの人へ届け、喜んでもらいたい。

 

 

たくさんの逆境に負けず貫いた信念は、薗田喜恵子さんとの出会いから大きく前へ進みはじめます。


 

雛人形を飾り、保管できる茶箱 Photo: Colin Mok

 

 

茶箱存続への二人三脚のはじまり

茶箱が産業として復興するためには、職人の育成や町の協力が不可欠だと考えたパイザーさん。茶箱を残したいという想いを嘆願書に込め、川根本町・町長へ送りました。

 

 

それは巡り巡って、当時、企画課・まちづくり室の室長だった薗田さんの手元に届きます。

 

 

まちづくりに関わる仕事をしていた薗田さんは、低迷するお茶の需要を復活させるため、海外へお茶を発信するミッションを抱えていました。365日、寝ても覚めても町のことを考える日々を過ごしていたといいます。

 

 

そんな町に対する深い愛情を持つ薗田さんの元へ嘆願書が届いたことは、運命の導きだったのかもしれません。

 

 

薗田さんは言います。

 

実は、嘆願書を受け取るよりも前に、前田製函所で美しいインテリア茶箱を目にしていていました。海外へ日本のお茶文化を発信するためには、インテリア茶箱とセットで持って行くしかないと考えていた矢先に嘆願書が届いたんです。

 

町を盛り上げていくためには、お茶と同じぐらい、町の特産品として茶箱を未来へ残していかなければいけない。

 

 

パイザーさんの想いに共鳴した薗田さんは、自らがその役割を担うために公務員を退職。インテリア茶箱クラブと協力して創業約75年の歴史を持つ「前田製函所」から事業継承し、2020年「前田工房」として茶箱製造をスタートさせました。

 

 

2020年1月に操業開始した桑野山新工房


 

日本の茶箱を、世界へ

現在、前田工房では30代、40代の職人が中心となり製造を行なっています。しかし、ここへ来るまでの道のりは苦労の連続だったと薗田さんは言います。

 

何十年も仕事を続けて来られた職人さんの技術を継承するわけなので、事業継承は簡単なことではありません。誇りを持って続けてきた仕事を譲るので、親方は相当な覚悟が必要だったと思います。もちろん、受ける側も生半可な気持ちではできません。

 

生き物である木を扱いながら1ミリの狂いも許されない作業は熟練の技が必要とされます。親方から譲り受けた技術は、工房の職人一人ひとりが切磋琢磨し身につけ、茶どころならではの産業を守っています。

 

 

 

茶箱の製造は一切廃棄物が出ないんです。木くずは卵屋さんが取りに来て、鶏小屋に敷いて使われたり、端材は薪ストーブに使いたい人が持って行ったり、環境にやさしいまちづくりにもつながっています。すべてのモノが大切に使われていくような茶箱作りをこの町で展開していきたいですね。

 

と薗田さんは言います。

 

茶箱の魅力を発信するパイザーさんと、職人の技をつなぐ薗田さんの両輪は、茶箱に新たな可能性をもたらせています。

 

目標は世界の茶箱にしていくこと。

 

と展望を語るお二人の目は、揺るぎない自信に満ち溢れていました。